※データ復元版
どうもHIDe And 4eekです。
今回は飛騨の魅力。その中でもHIDe And 4eekも携わっています飛騨の木工、ものづくり、飛騨の匠についてお話ししたいと思います。
そもそも飛騨高山とは岐阜県北部にある高山市のことを指します。高山市は面積が2177.67haで「日本一広い市」としても有名で、その大きさは東京都に匹敵します。そのうち92.1%は森林で占められており、山、川、渓谷、峠などの自然資源が豊富にあります。
それ故に飛騨高山は古くから「山の飛騨国」と言われてきました。現在でも林家(りんか)という林業で生計を立てている世帯数は4,400ほどあり、従事者共に岐阜県下では最も多い数となっております。そして代々、木工を職とする一門が現れ現代に至るまで飛騨の匠が継承されています。
そんな飛騨の匠の歴史は古く、史料として登場したのは今から遡ることおよそ1300年前の奈良時代に書かれた「養老律令」(大宝律令を改修した律と令)です。そこには都に税を納める代わりに技術者の派遣(飛騨工制度)を求める記述があります。これは特例で日本で唯一施工された制度です。
特に奈良時代(710~794)から平安時代(794~1185)にかけ、都では宮殿や数多くの寺社仏閣が建立されました。中でも平城京や平安京、あるいは西大寺(奈良市)や石山寺(大津市)等では、飛騨の匠が卓越 した技術を発揮した記録が残っています。
さらに万葉集、今昔物語集の中でも飛騨の匠は登場しており当時から大きな影響を及ぼしていたことが伺えます。
その後鎌倉時代には、飛騨工制度が自然消滅的に終焉を迎え更にその後の戦乱期には史料から飛騨の匠の名が現れることはないですが、太平の世の江戸時代に再び活躍が見受けられるようになります。その卓越した技術は民家、伝統工芸の中でも脈々と受け継がれてきました。
現在では古い街並み、国指定重要文化財の住宅、飛騨の家具、一位一刀彫、飛騨春慶、更にこれら技術の結集が毎年春と秋に開催される「高山祭」で曳かれる屋台など今日も様々な場面で見ることができます。
観光、食は勿論のこと更にものづくり、木工芸、飛騨の匠など今なお継承されている、日本を代表する美意識、卓越した技術を触れる機会にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。